月美の今日のおさらい

今日の事は今日のうちに(^_-)-☆

女の子は成長が早くて寂しいです。

最近、4歳の娘が「男の子は嫌い」と言ったことを言うようになってきました。娘はプリンセスとかリボンやハート等可愛いものが好きなので、以前から、服装や持ち物が可愛くない男の子は好きではありませんでした。物語の中の王子様さえかなりどうでもいいみたいです。確かにディズニーの絵本を読んであげても王子様が活躍する話はなくて、単に最後に出てきて結婚するだけだったりします。全世界共通で、女の子は自分が可愛ければそれでよくて、男の子なんて飾り程度の存在なのかもしれません。
最近では男の子が戦隊モノの話をしたりするのが自分には理解出来なくて、負けん気の強い娘にとってそれが悔しいので嫌いだったりもするみたいです。
「お尻とかオナラとか汚い話ばかりするんだよー。」と文句を言う割にその手の話は好きなんですよね。家ではパンツを脱いでお尻フリフリしながら攻撃してきます。まさか幼稚園でお尻を出してはいないと思いますが、まあこれは誰しもどうしてだか通る道だと思って諦めています。
男の子はすぐ泣く話をしていた時のことです。「今日も男の子が一匹泣いちゃってね。」と何とも絶妙な単位の使い間違いをするので笑ってしまいました。せめて一頭と数えてあげてほしいものです。男の子を嫌っているわりに、幼稚園バスに乗り込んだら男の子の隣に座って楽しそうにしている様子も目にするから不思議です。バスの運転をしている男の先生のことも大好きでいつの間にか告白もしたようです。泣いて喜んでくれたんですって。あまりにオマセさんになってしまっていると何だか寂しいです。ついこの間までわたしのおっぱいを吸っていたのが嘘のようです。うちには男の子がいないせいか、オナラとか馬鹿な話をして喜ぶ男の子の方が可愛いんだろうなぁと羨ましい気持ちがどうしても湧いてきてしまうんですよね。まぁ生意気な女の子と言うのもそれはそれで可愛いですよ。いつか恋愛相談をされるような親子関係を築いていきたいと思っています。

今日の出来事。

今日仕事はとても忙しく朝から休憩する暇もないくらいに働いていました。
何をしているかわからないくらい動いていてお昼にはもう、クタクタでした。
ご飯も急いで食べて、また仕事です。上司も休憩をしている様子もなく働いています。
お昼休憩が、終わった後、上司に、呼び出されました。
私が管理者の引き継ぎをすることになったと言われました。
そんな事急に言われても困ります。ですが、今は人数も少なくなっているので、断る事も出来ない状態なので仕方がありません。
明日からの予定などの確認をとり、今日は今までとうりに仕事をする事になりました。
今ある仕事を片付けなくてはいけないのですが明日からの不安でいっぱいで何も手につきません。
私はパートなので、四時には帰れる契約になっているのですが、今日は無言で残業です。
最近は毎日残業をしている状態です。
同僚たちとも、残業して、遅くなれるならパートではなく社員で働くよ!と、上司には言えない愚痴を言いながら働いていました。
ですが、明日からは管理者になるのです。そうそう帰らせてもらえるわけがありません。
かと言って給料が上がる事も絶対にあり得ません。
何だかモヤモヤしてきて残業している自分がアホらしくなってきました。
同僚達と同じ事をしていて同じなら納得もいくのですが、管理者と言うプレッシャーのある仕事をさせられるのです。
なんとなく納得いかないです。
そんな事を考えながら仕事を終え家に帰りました。
何だかご飯も作る気力がありません。
それでも子供は、お腹すいたと言ってきます。
しぶしぶご飯を作ります。今日は疲れているから、野菜炒めとスープね!と言うとブーイングの嵐です。
もー!会社でも、家でも休まらないの?と思って大きなため息をついてしまいました。
すると、主人がお弁当買って来ようよ!たまにはいいじゃん!と言ってくれました。
子供達をつれ、スーパーにお弁当を買いに行き楽チンな晩御飯をたべました。
子供達も唐揚げ弁当にとても満足していました。
とても疲れる1日だったけど主人の優しさが心にしみてとてもホッコリとした気分になれました。

 

大学受験は後期卯2年生の終わりから始まる話

高校3年生に受験英語を教えるのは辛くない話 モチベーションが続くまでは

大学受験が始まろうとする高校2年生の2月にK塾に入塾試験を受けに行った時から受験英語との関わりは始まっていたのだと思います。
その当時の予備校はバブル期でしたので、K塾には入塾試験なるものがありました。
医学部レベルと国立大学レベルの2種類がありました。
それなりに仲の良かった友人たちと一緒に受けに行ったのですが、何と、自分だけ不合格だったのです。
難しい方のレベルではなくて、簡単な方のレベルに合格できなかったのです。
つまり塾に入れてもらえないということです。

帰宅して母親の前で涙を流しました。
来週も受けたいので1500円を出して欲しいと。
ですが1度目に落ちて、2日後に合格するなんて、ないじゃあないですか。
当然ですが2回目も不合格で、3回目にやっと合格させてもらった感じでした。
1度目に不合格をしてからは、毎日、英単語を覚えましたし、数学のチャートの基本問題も解きました。
その当時に流行していた英単語集は「試験に出る英単語」というものでした。
過去の東大の英語長文で頻出だった英単語を、出る順に並べた合理的なものでした。
確か1単語目は「intelligent」だったと記憶しているのですが。
重要な英単語は1200個くらい掲載されていました。
その後に「多義語」なるものが100個くらいありまして、それは画期的なことだったように思います。
いわゆる、あっと驚く意味のことですね。
「safe」だったら「金庫」みたいな。
これらの多義語は現在のセンター英語でもセンター模試でも頻出です。

そして晴れてK塾の英語長文読解の授業を初めて受けました。
春休みのことだったと記憶しています。
講師の英語の先生はラジオ講座も持っている有名人で、実際の授業も実に迫力あるものでした。
ものすごく憧れました。
あんな仕事をしたいと。
そして1年間ほど苦しい受験勉強をして、地元の国立大学の文学部で英語教員免許を取得しました。
そして予備校や学習塾で働き始めたのではなくて、県立高校の英語教員になったのでした。
実はこれをとても後悔しているのです。

最初に配属された学校は夜間に定時制高校でした。
大学受験をする生徒は全くいませんでした。
そして価値観が全然違っていました。
夜の9時を過ぎてから、生徒が吸ったタバコの吸殻を拾うことが仕事でした。
受験英語を教えることが仕事だと思っていましたので、基本的にすることがなかったのです。
毎日ため息をついていました。
50歳を過ぎてから早期退職をするくらいなら、その時に辞めれば良かったのにと思います。
50歳を超えての転職なんて、うまくいくはずはありません。

蝉の誕生に感激しました

数日前のことです。お昼ご飯を外で食べようと夫と二人出かけました。すると夫がご近所のブロック塀の側で立ち止まりました。指さす方を見ると、蝉の抜け殻の下に抜け出したばかりの蝉がいたのです。まだ羽は濡れているらしく、色も淡いですし、じっとしています。そっと写真を撮ってそこを離れました。
そして、いつも行く食事処の女将さんに写真を見せたところ大感激をしており、後で写メを送って欲しいと依頼されました。食事を終え、買い物を少しして帰宅する際に、くだんのブロック塀を見てみると、まだ蝉はしがみついています。しかし、少し色が濃くなった様に思えました。頑張って飛ぶんだよと声を掛けて自宅へ帰りました。お店の女将さんには休憩時間を見計らって写メを送ったところ、大喜びをされ、自然の凄さを感じたよというメッセージが返ってきました。
蝉は卵が産み付けられると7年間も土の中で過ごすと言います。産み付けられたときは土であった所も昨今の事、7年後にはコンクリートで固められたり、建物が建ったりすることも少なくありません。そんな事情の中で、無事成虫になれたというのは本当に凄いことなのだと思います。命が余り大切にされていないようにも思われるこの頃のとこです。こんな小さな命が無事に生まれたことを本当に喜びたいと思います。夕方にはもう抜け殻だけが残されていましたから、飛び立って言ったのでしょう。蝉の命はたった1週間と言います。その間に、また相手を見つけて卵を産み付け命を全うするのでしょう。自然とはなんと凄く素晴らしいものかと感動してしまいました。
人間も見習わなくてはいけないと、つい高尚な事を考えてしまいましたが、やはり楽な方に向かっている自分がいます。昆虫や動物のこのような生態をぜひ子供達にも教えてあげたいと思います。しかし、今住んでいる地域なら可能でしょうが、少し都会になってしまうと無理なのでしょうね。
夏らしくない日々の中の、ちょっと優しくなれる体験でした。

それってメイクがちゃんと落ちてないのが原因かも?

ある日、鏡を見てふと自分の目の周りの下が黒っぽくなってクマになってることに気付いてビックリしたんです。まるで化粧のアイラインを引いてそのまま滲んで沈着してしまったかのような、そんな黒っぽさで・・・。
毎日欠かさずお風呂でメイクだって落としているのに何で?って思ったわけなのですが、その日にお風呂から上がってもう一度鏡を覗くと目の周りが黒っぽいんです。気になってテイッシュで拭いてみたら白いテイッシュが黒くなるではありませんか。


そう、自分ではしっかり落としていたアイメイクが落としきれていなくて、その落としきれてないアイメイクが色素沈着して目の下を黒っぽいクマにしてしまっていたんです。


その日からまずはメイクは丁寧にしっかりと落とすことから始めました。もうこれ以上色目の周り 素沈着させないことから始めたんです。

 

人の皮膚ってターンオーバーがあるので、きちんとメイク落しをしていれば皮膚が生まれ変わって色素が沈着した皮膚も入れ替わると考えたんです。


実際、それをやってみて目の下の黒ずみのクマは改善されました。また目の下の黒ずみだけでなく、唇の周りも色素沈着していたのが綺麗になりました。目の周りのクマって睡眠不足や体調不良からだけでなく、メイクがよく落ちてないことからも起こることなんだとビックリさせられた出来事でした

帯状疱疹デビュー

40代になって今までかかったことのない病気にかかることが多くなりました。そして先日とうとう帯状疱疹デビューをしてしまいした。
最初に膝の痛みから始まりました。右ひざだけが痛いのです。そのあと太ももの神経が痛くなって熱を持つようになりました。私は腰痛持ちでヘルニアをやっているので「この痛みは坐骨神経痛かな?」と思いました。なのでもう少し様子を見てからお医者さんに行こうかなあなんて思っていました。そしたら次の日には膝が曲がらないぐらい痛みが強くなってきました。
これは流石にまずいと思って即整形外科に行きました。とにかく痛いので待ち時間がすごく辛かったです。やっと自分の診察になって先生に膝の部分を見せたところ、今までなかった赤い発疹が右膝の脇にたくさん出ていました。これには自分でびっくりしました。
そして先生の口から出てきた病名に二度びっくりしました。「これは帯状疱疹ですね」
え~本当にびっくりです。帯状疱疹なんて自分には縁のない病気だと思っていたからです。免疫力には自信があったのに。でも帯状疱疹が足に出来るなんて聞いたことないなと思いました。帯状疱疹のポイントは体の片側だけに出るところらしいです。神経に出てくる病気なので体の両方には出ないということです。
でも薬をきちんと一週間飲めば治る病気なのでそこは安心しました。ただお薬代が結構高額で保険がきいてトータル8000円くらい下でしょうか?ちょっと色々な意味で痛い出費でした。
たいじょうほうしんはお年寄りとか二人に一人はかかると言われて言ってますあまりに薬代が高くあったので本当大人でもデート退場疱疹の予防接種として水疱瘡の予防接種を皮膚科に書いてあったのでそれぐらい効果があるのかとか本当に効くのか副反応は大丈夫なのかとか色々聞いてちょっと検討してみようかなと思っています

新婚旅行で行った長崎へ40年目に再び訪れたこと

結婚10周年で行こうと決めていた長崎でした。新婚旅行はハワイが当たり前のころ、私たちは長崎を選びました。未だハワイには行けず残念なことをしたと思います。
その長崎に10周年は子育て真っ最中で行けず、20周年のころは子供たちにお金がかかって行けず、30周年のころは親の介護で行けず、40周年になってしまいました。
今年4月、本当に突然夫が「長崎に行こう」と言ったのです。自力で行くのはしんどいので、ツァーを探しました。ハウステンボスのチューリップ祭り、グラバー園が中心で、九十九島巡りなどが追加料金で選べるものでした。
新婚旅行に行ったときはグラバー邸でしたが、一日目のグラバー園は庭園として整備されており、エスカレーターで移動ができて快適でした。大浦天主堂はそのままで、夫が三脚を担いで階段を上っていた写真がそこにありました。「長崎は今日も雨だった」の歌の通り、雨になったのは残念でしたが。
その夜は長崎の街が一望できるホテルに泊まりました。素晴らしい夜景でした。雨もあがっていました。
二日目はハウステンボスで一日自由行動でした。新婚旅行の時はまだなかった場所です。とてもいいお天気でした。オランダをイメージした街並みで、私たちは二人乗りの自転車をレンタルして一周しました。自転車など40年くらい乗っていなかったのでどうなることかと思いましたが、楽しくて楽しくて童心に返り、大はしゃぎしました。チューリップ祭りを満喫できました。ライトアップされたハウステンボスに息を飲みました。ハウステンボスの中のホテルだったので、チケットで何度でも出入りできるのがよかったです。
三日目は九十九島巡りのクルージングでした。今回のツァーは年配の夫婦が多くそれも楽しいでした。「袖すりあうも多少の縁」というのでしょうか。
あまり疲れを感じずに良い思い出になった旅でした。