月美の今日のおさらい

今日の事は今日のうちに(^_-)-☆

大学受験は後期卯2年生の終わりから始まる話

高校3年生に受験英語を教えるのは辛くない話 モチベーションが続くまでは

大学受験が始まろうとする高校2年生の2月にK塾に入塾試験を受けに行った時から受験英語との関わりは始まっていたのだと思います。
その当時の予備校はバブル期でしたので、K塾には入塾試験なるものがありました。
医学部レベルと国立大学レベルの2種類がありました。
それなりに仲の良かった友人たちと一緒に受けに行ったのですが、何と、自分だけ不合格だったのです。
難しい方のレベルではなくて、簡単な方のレベルに合格できなかったのです。
つまり塾に入れてもらえないということです。

帰宅して母親の前で涙を流しました。
来週も受けたいので1500円を出して欲しいと。
ですが1度目に落ちて、2日後に合格するなんて、ないじゃあないですか。
当然ですが2回目も不合格で、3回目にやっと合格させてもらった感じでした。
1度目に不合格をしてからは、毎日、英単語を覚えましたし、数学のチャートの基本問題も解きました。
その当時に流行していた英単語集は「試験に出る英単語」というものでした。
過去の東大の英語長文で頻出だった英単語を、出る順に並べた合理的なものでした。
確か1単語目は「intelligent」だったと記憶しているのですが。
重要な英単語は1200個くらい掲載されていました。
その後に「多義語」なるものが100個くらいありまして、それは画期的なことだったように思います。
いわゆる、あっと驚く意味のことですね。
「safe」だったら「金庫」みたいな。
これらの多義語は現在のセンター英語でもセンター模試でも頻出です。

そして晴れてK塾の英語長文読解の授業を初めて受けました。
春休みのことだったと記憶しています。
講師の英語の先生はラジオ講座も持っている有名人で、実際の授業も実に迫力あるものでした。
ものすごく憧れました。
あんな仕事をしたいと。
そして1年間ほど苦しい受験勉強をして、地元の国立大学の文学部で英語教員免許を取得しました。
そして予備校や学習塾で働き始めたのではなくて、県立高校の英語教員になったのでした。
実はこれをとても後悔しているのです。

最初に配属された学校は夜間に定時制高校でした。
大学受験をする生徒は全くいませんでした。
そして価値観が全然違っていました。
夜の9時を過ぎてから、生徒が吸ったタバコの吸殻を拾うことが仕事でした。
受験英語を教えることが仕事だと思っていましたので、基本的にすることがなかったのです。
毎日ため息をついていました。
50歳を過ぎてから早期退職をするくらいなら、その時に辞めれば良かったのにと思います。
50歳を超えての転職なんて、うまくいくはずはありません。